幸せだから

家族というものを知った。
愛し、愛され、惜しみない愛情があることを知った。
時々、ふと、考える。
もし、昔の自分がそのことを知っていたのなら。
何か、変わっていたのだろうか――――。


******************


「くっ・・・・なぜ、私がコメツキバッタなんぞと散歩に行かなければならないんだ・・・・」
「え〜、たまにはいいじゃんよ。息抜き、息抜き♪」
「お前は、普段から休みすぎだ!!息抜きの必要なんぞ無いから、今すぐ引き返せ!!」
何となく夜風に当たりたくなって、静蘭が一人散歩に出掛けようとすると、何故かもれなく燕青がくっついてきた。
そのことが大変お気に召さなかったらしく、静蘭は不機嫌なオーラを隠そうともしない。
けれど、そんな様子を見ても、燕青の知る過去の彼よりずっと生き生きとしているので、燕青は静蘭に気付かれない程度に小さく笑った。
割合静かな夜なので、二人並んで騒ぎ立てれば、まず間違いなく近所迷惑である。
仕方が無いので、燕青の事は思考及び視界の隅から抹消するとして、静蘭は口を閉ざし、ズカズカと歩みを速めた。
燕青もそのことに関して何も言わずに、ただ黙って後についてくる。
ふと、静蘭が視線を巡らすと、遠目に闇に紛れて白い何かが見えた。
誘われれようにして、静蘭は爪先をそちらの方に向けた。
近付いていけば、徐々にその輪郭がはっきりとしてくる。
――――花だった。
真っ白な。
「これ・・・・は・・・・」
静蘭の唇が微かに戦慄いた。
花の香りに誘われて、過去の記憶が呼び起こされる。
その花の名は。
「これって、鈴蘭か?――――って、静蘭!?」
静蘭の後を追ってやってきた燕青が静蘭の顔を横から覗きこみ、次いでぎょっと目を剥いた。
「・・・・えっ・・・・?」
顔を上げた拍子に眦から雫が零れ落ちた。
その事に静蘭自身が驚く。
零れたものが涙だと知ると、咄嗟に両腕で顔を覆い、自らの表情を隠した。
「ど・・・・して・・・・」
どうして。
今更。
何のために――――泣くのだろう。
その花の名の呼び名を持つ人の姿が脳裏に浮かんだ。
彼女が自分を愛してくれることは無かったし、自分も最後まで彼女を愛することは無かった。
なのに。
どうして今更、こんなにも胸が痛む。
「・・・・静蘭」
燕青はそっと背後から、その逞しい腕で静蘭を優しく抱きしめた。
嗚咽で震える体がとても小さく感じる。
今の彼は、本当に小さな子供のようだった。
「私、は、本当に、愚か、だった。愚か、で、無力、で。」
「・・・・うん」
ポツリ、ポツリと紡がれる言葉に、燕青は静かに耳を傾けた。
彼が何を言っているのか、何を言いたいのか、分からなかったけれど。
きっと燕青も知らない、遠い昔の辛い記憶のことだろうと思った。
静蘭は今まで例え二人っきりでも、人に涙を見せることは無かった。
彼は決して強くは無い。
知っている。
性格も口も悪い反面――――誰よりも繊細であることを。
意地っ張りで、矜持が無駄に高くて。
そんな静蘭がこうして、自分の目の前でも泣けるようになったのは。
「静蘭は幸せなんだよな。」
燕青の穏やかな声に、静蘭は振り返りもせず、けれど抱きしめた体が僅かに反応した。
「邵可さんや姫さんに愛されてさ、俺も傍にいるし。幸せいっぱいじゃんか」
「・・・・最後のは本物のコメツキバッタと取り替えろ」
すかさず返って来た反論に、燕青は喉を鳴らして笑った。
「よし、よし。元気出てきたみたいだな。」
燕青の言葉に静蘭は鼻を鳴らしただけだった。
それでも、自分を抱きしめる腕を振りほどこうとはしない。
静蘭は静かに瞑目する。
非常に不本意ではあったが――――確かに燕青の言うとおりだった。
昔はただ生きるのに必死だったから、顧みる余裕も無かった。
愛というものを知らなかったから、不要だと思ったものは全て切り捨てた。
けれど、新たな名を得て。
こうして、生まれ変わって。
差し伸べてくれる手があることを知って。
向けられる笑顔に喜びを感じて。
少しだけ。
本当に少しだけ。
心にゆとりが出来るようになったのだ。
だから、今、ほんの少し顧みる。
もし、あの時の自分がこのことを知っていたのなら。
もっと何かが変わっていたのだろうか――――と。
それは、今となってはただの無意味な仮説にすぎなかったけれど。
静蘭はただ一度だけ、心の中で、その花の呼び名を持つ人を呼んだ。
(――――母上)
自分は最後まで最低な息子だった。
最後の最後に初めてあなたの為に祈ったけれど。
その祈りは、きちんとあなたに届いたのだろうか。
もし、あなたの墓があったのなら、この花を手折って持って行きたいと、思った。
けれど、墓さえも無いことは知っていたから。
それなら、せめて。
静蘭はその長い睫を震わせて静かに目を開くと、燕青の腕を解いて歩み出た。
燕青がその様子を背後から、穏やかに見守る。
静蘭は自らの髪紐を解くと、目の前に咲き誇る白い花に緩く結びつけた。
その花が軽く風に揺られるのを見て、静蘭は僅かに微笑して、そこで初めて燕青を振り返った。
「・・・・帰るぞ、燕青」
「そんじゃ、帰ったら姫さんに二胡でも弾いて貰おうぜ」
燕青はのん気な口調で言った。
静蘭は笑った。
認めたくは無いが、燕青のこの懐の広さにはいつも救われる。
「お前にしては名案だな。・・・・燕青。――――ありがとう」
燕青は最後の一言に目を大きく見開くと、次いで満面の笑みを浮かべて破顔した。
「せーらんっ、今のもう一回!良く聞こえなかったから、もう一回言って♪」
「う、うるさい!二度というかッ!!調子に乗るな、コメツキバッタ!!」
楽しそうに静蘭をからかう燕青と耳まで真っ赤に顔を染めた静蘭が、二人仲良く並んで月明かりの下を帰って行く。


それを見送る白い鈴蘭の花が、紐の飾りをそよ風に揺らしながら――――微笑むように、小さく揺れた。



静蘭受けの王道、双玉小説!!
ザビ9を読んで、あまりに静蘭の過去が悲しくて辛いものだったため、燕青に慰めてもらえと。
そんな事を思って衝動的に書きました。
ちなみに、状況設定は全く考えてません。
茶州での出来事にしようと思ってたのですが、茶州に行ったのはもう、鈴蘭の季節過ぎてたような・・・・。
う〜ん・・・・。
あなたたち、一体何処でデートもとい、散歩してるの。(笑)

夢鳥

*ブラウザを閉じてお戻りください*