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「まだほんの子供だな」
突然掛けられた声に清苑は驚いて目を覚ました。
寝室には清苑一人だけのはずだったのだが、いつの間に入り込んだのやら寝台で横になっていた清苑のすぐ傍らに、一人の男が立っていた。
大将軍と言っても齟齬の無いような立派な武官の出で立ち。
だが荒々しさは無く、何処か優雅な雰囲気さえ漂っている。
けれど見覚えのない男だ。
「あの男が一体どんな気紛れを起こしたのか、と思ったが――――」
「・・・・!?」
暫くの間唖然としていた清苑だが、自分の全身を上から下まで観察するようなあからさまな男の視線に、瞬時に我に返ると素早く身を起こして寝台の傍らに腕を伸ばした。
しかし、そこには何故か干将の姿が無い。
なぜ――――と考える前に、代わりに寝台の傍に常備している短剣を引き抜いて構えた。
そのまま相手の出方を慎重に伺う。
例え寝ていたとしても、実のところ清苑の眠りは浅く、敵の気配が近づけば直ぐに気付くことが出来る。
だが声を掛けられるまで、この男の気配にはまったく気が付かなかった――――。
清苑は小さく舌打ちをした。
この男が刺客だというのなら、間違いなく致命的な失敗だ。
自分が油断してしまっていたのか、それとも相手が相当の手練れなのか。
しかし、どうあれ自分が眠っている間に、首を切られなかったという事は事実だった。
清苑は眉を顰めた。
「・・・・何者だ」
「ほう・・・・なるほど、それなりに場数は踏んでいるということか」
品定めをするかのように呟いた男の視線に鋭い光が宿る。
気圧されて怯みそうな自分を叱咤し、清苑は男と対峙し続けた。
訳の分からない不安が清苑の内側から襲い来る。
だが、決して相手に恐れを悟られてはならない。
敵に恐れを悟られる事は即ち、死を意味するのだ。
清苑を無言で眺めていた男は、不意に口端を吊り上げ、喉を鳴らして笑った。
「いいだろう、本題に入ろう。紫清苑――――我が名は、干将」
「干将・・・・!?」
清苑はクッと目を見開いた。
干将だと・・・・!?
まさか、宝剣が人の姿になるなどと。
だが実際に干将の姿は無く、そして、何より清苑の直感が、男の言葉を真実だと告げていた。
そう、この宝剣は、かの縹家が創ったものなのだ。
このような事が起きても不思議ではないのかもしれない。
「紫清苑よ、私と獏耶を引き離したな。このままで私を使いこなそうとするとは、未熟者にしてなんと傲慢な事よ」
「私が未熟者だと?」
清苑は鼻で笑った。
彼は当に百を越える刺客を殺している。
見た目通りのただの子供ではないのだ。
「私はお前が想像するよりもずっと、巧みにお前を操ることができるぞ」
清苑が未熟者だから自分を扱うことはできないと、忠告の為に化けて出てきたというのなら、余計なお世話だと切って捨てた。
だが、干将は何の感慨も受けた様子はなく、静かに清苑に向かって腕を伸ばした。
清苑が手に構えている短剣に触れた瞬間、清苑が抵抗をする間も無く、短剣が干将の背後に飛んだ。
一瞬の出来事に、清苑は何かに絡め取られたように動くことができなかった。
「では、紫清苑。お前が我が使い手に相応しいかどうか、試してみよう」
刹那。
清苑の視界は反転していた。
「何を・・・・!?」
「大人しくしているがいい。お前が私の気を“受け入れる”ことができれば我が使い手として認めてやろう。私が何故獏耶と対なのか知らぬわけでもあるまい」
そう――――対になる宝剣、干将・獏耶、その理由。
男の性を持つ干渉の陽の気を女の性を持つ獏耶の陰の気が受け入れ、その力を打ち消し合うことによって力の釣り合いを保っているのだ。
それを引き離してしまえば、干将は気を止め処なく溢れさせ、獏耶は受け入れる気が足りなくなり、各々の力が暴走してしまう。
使い手がそれぞれの剣の性と対極ならば良いが、そうでない場合は使い手に剣の気を御するだけの力量が要求されるのだ。
だが、干将が清苑に要求しているのはその力量ではなく、明らかに獏耶の役目を引き受けろ、ということに違いなかった。
清苑は青ざめた。
「よせ!やめろ・・・・ッ」
清苑は、覆いかぶさってくる男の下で必死の抵抗を試みた。
しかし、男の腕は清苑を平然と抑え付けたまま、ビクともしない。
まざまざと己の無力さを見せ付けられて、清苑は悔しさに唇を噛み締めた。
呆気なく短剣を奪われ、組み敷かれて尚、抵抗も儘ならない。
干将の言う通り、自分は干将の使い手に相応しくないのか。
だが、こうして屈辱に耐えさえすれば――――。
そんな考えが脳裏を掠めた瞬間、男の手が夜着の合わせ目に触れた。
直に肌に触れてきた感触に激しい嫌悪感を覚える。
その時、清苑の中で何かが弾けた。
余りにも無我夢中で、自分が何をどうやったのかも覚えていない。
ただ気が付けば、いつの間にか先ほどとは別の短剣を掴んで、男の上に逆に馬乗りになり、その喉元に短剣をピタリと突きつけていた。
干将は慌てる訳でもなく、肩で激しく息を吐く清苑を見ながらゆっくりと瞬きをした。
「どうした、我が使い手として認められたくはないのか」
「黙れ!」
清苑は低く吐き捨てた。
夜着も髪も乱れ、相当無様な姿を見せたことだろう。
だが、そんなのは構わなかった。
清苑は荒い息を整えることも儘ならないまま、考えるよりも先に言葉を紡いだ。
「いいか、干将。貴様に支配されるやり方で認めて貰おうなどと、そんなことは、私の矜持が許さない。私が貴様に支配されるんじゃない、私が貴様を支配するんだ。誰が貴様なんぞに“認めて貰う”か、貴様を“認めさせてやる”んだ!」
そして清苑は力の限り叫んだ。
「私に従え、干将――――!!」
男は、暫しの間無表情を崩すことは無かった。
だが、不意に面白い物を見るかのようにその瞳を細めた。
「傲慢もここまで来ると、いっそ清清しいものよ。・・・・いいだろう、気に入った。紫清苑、お前を我が使い手として認めよう」
「・・・・!?」
干将はいともあっさりと、清苑を使い手として認めた。
素直に喜んでいいのか、それともまだ裏に何かあるのか、戸惑う清苑に干将は不敵な笑みを見せた。
「――――ただし、お前の力量が足りない分、私の気を多少は受け入れてもらうぞ」
清苑がその意味を理解する前に、眼前には既に男の顔が迫っていた。
己の口が何かに塞がれたと思った次の瞬間。
そこから何かがもの凄い勢いで清苑の中に流れ込んで来て――――そして、清苑の意識は途切れた。
ふと、目を覚ますと、明け方の淡い朝日が室内に入り込み、どこからか鳥の鳴き声が聞こえた。
常と変わらぬ、朝の光景。
しかし。
清苑が寝台に横たわったまま視線を滑らすと、遠くに短剣が落ちているのが見えた。
目覚める感覚と共に、全ての状況を理解する。
己の枕元にも一本短剣が落ちており、そして左手には――――干将がしっかりと握り締められていた。
清苑は飛び起きると、寝台の周りを確認した。
対刺客用に常備しているはずの武器のうち、短剣が二つ、確かに無くなっていた。
では、あれは夢ではなかったのか――――。
だが、待てよ。
あれが夢では無かったとすると。
清苑は咄嗟に自分の口を押さえると、まだ握ったままの干将を更に強く、ギリギリと握り締めた。
どこからか、男の笑いが聞こえてきた気がして、それが更に清苑の癪に触った。
清苑は絶対零度の眼光で、干将をギロリと睨みつけた。
「おのれ、干将・・・・!!」
その後、武官なら誰もが一度は憧れる名剣の片割れが、『悪霊退散』の護符をこれでもかと巻きつけられて暫くの間放置されていたのを知る者は――――誰一人としていない。
お待たせしました、かおる様。
宝剣を下賜された日の夜の出来事はこんな感じでしょうか。
いろいろ捏造も入っていますが。(汗)
干将が人型になるか、それとも獣型になるか迷ったんですけど、今回は人型にしてみました。
獣型で、狼とかでも格好いいとは思うんですけど、人型の方が無難かな、と。
御意見や批判などありましたら、かおる様のみ受け付けます。
リクエスト有難うございました!!
夢鳥
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