――――返事が返って来ることは無かった。
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不思議な浮遊感に静蘭は眼を醒ました。
ここは一体――――?
全てが白い靄のようなものに覆われた世界。
上か下かも判断できない、あまりにも非現実的な世界。
非現実――――という言葉に思い至って、ああ、自分は夢を見ているのだと、漸く理解することができた。
静蘭はふわふわと揺れるように、その空間をただ漂う。
突如として、霧がすーっと退いていくように靄が晴れた。
変わりに眼前に姿を現したのは、果てさえも分からぬ程に広がる、無限の草原。
圧倒的な緑が風に揺れてなえる中に、見えない何者かの手によって、静蘭の身体は降ろされた。
呆然と遠くを眺める彼の眼にやがて一つの人影が姿を現す。
その影がゆっくりと近づいて来る度に、静蘭の胸の奥を正体の分からない何かが強く揺すった。
しだいに顕になったのは、人を従え跪かせるような強い眼光。
覇王の名に相応しき、その風格。
「父上――――・・・・!!」
その姿を認めた瞬間、全ての感覚がまるで現実の中にいるように覚醒した。
自分を愕然と見つめる翡翠の双眸に、セン華は目を眇めた。
幼かった美貌は美しさを増していた。
きっと邵可が大切に育ててきたのだろう。
「日頃の行いが良いわけでもないんだがな」
寧ろ最悪な筈だった。
にも関わらず、何故こんな都合の良い夢を見ることが出来るのか。
まあ、どうでもいいことだがな、といかにも気だるそうに前髪をかき上げ、セン華は静蘭の目の前までやって来た。
気圧されたのか、静蘭が肩を震わせ少したじろいだのが分かった。
根本的なところは変わっていないな、と思い、セン華は喉の奥で嗤った。
清苑は公子として王の目の前に立つ時は、一寸の揺らぎも見せなかったが、父と子として互いに向き合った時、まるで小さな子供のように戸惑いを見せていた。
愛されることを知らず、一人で暗闇を歩き、心を氷の中に閉ざした子だった。
今は愛される事を知ったのだろうか、氷は少しずつ解けていったのだろう。
けれども、未だ父たる自分とどう接すればいいのか分かっていない。
おおよその事はそつなくこなせるものを、こんな他愛ないことに限ってはどうしようもなく不器用なところは本当に変わっていない。
セン華にじっと正面から観察されて、いたたまれなくなったのか、静蘭が小さく後ず去った。
しかし、次の瞬間、静蘭は大きく体を震わせた。
力強い腕。
静蘭の手首をセン華がしっかりと掴んでいた。
その力強さに静蘭は無意識のうちに安堵した。
・・・・御病気だと、伺っていたから・・・・。
こうして直ぐ目の前に立つ夢の中の父は、病気の気配すら感じさせない。
嘗ての姿そのままの、覇王の姿。
清苑が、焦がれてやまなかった姿そのままに。
それはただ静蘭の願望を夢が映し出しているのかも知れなかった。
けれども、あまりにも全ての感覚が、現実のようで、それに縋らずにはいられなかった。
――――セン華は静蘭の絶対の領域の存在だから。
忘れようと思っても忘れられなかった。
役に立ちたいと、自分を認めて欲しいと、ずっと願い続けていた、幼い頃。
流罪により王宮を去り、拾われて安寧に身を委ねる日々が与えられても、憧れ続けたその思いは変わらず。
父が病で倒れたと、市井に広がった噂に、ただ祈ることしか出来なかった。
「ち、ち・・・・うぇ・・・・」
知らずに漏れた言葉は、酷く幼いものに聞こえた。
手首を離さないまま、自分を呼び俯いて表情を隠した静蘭をセン華は変わらずに、ただ見つめていた。
見つからないように隠しながら、けれど自分を追うように向けられていた、幼い視線を知っていた。
それが、自分を好いてのものだと知ったのは、清苑を流罪に処した時だった。
だが、清苑は同じように自分が見ていたことを知らないままなのだろう。
父親らしく振舞ったことも無ければ――――抱きしめてやったこともない。
セン華は腕に力を籠めた。
静蘭がハッとした瞬間には、彼の身体はセン華の腕の中にあった。
「どうせ最後だ。教えてやろう」
最後・・・・という言葉に違和感を感じて、静蘭が顔を上げれば、間近にあるセン華の顔が不適な笑みを称えていた。
不安げに揺れる翡翠の双眸を見据えて、セン華は静蘭に呪縛をかけた。
「俺の命はお前にやった。――――お前は、俺の物だ」
その瞬間、大きく開かれた翡翠色の瞳に、セン華は満足気に嗤った。
そうだ、俺の命は清苑にくれてやった。
だから、今ある静蘭の命はセン華の命に等しい。
「お前は俺の物だ。他の誰かにその命をくれてやるなどと勝手なことは許さん」
「・・・・父上?」
セン華の言わんとすることの真意が分からず、静蘭は戸惑った。
それはセン華が王という仮面の下に隠した本心。
セン華は更に嗤う。
「何が言いたいのかは自分で考えるがいい。いくらお前が愚かでも、それ程までは馬鹿じゃないだろう」
そろそろ時間切れだ、と呟いた時、静蘭が焦ったような声を出した。
「ち、父上!お体が・・・・ッ!」
セン華の身体が少しずつ実体を失い始めていた。
自分を抱きしめる温もりが徐々に消えていくことが、更に静蘭の焦燥感を煽った。
このままでは父が消えてしまう・・・・!?
「嫌です、父上・・・・父上、嫌だ、消えないで・・・・!!」
静蘭が薄れゆくセン華の身体を懸命に引きとめようと、自らの腕をセン華の背中に廻した。
精一杯の力で抱きしめる。
胸騒ぎが静蘭を駆り立てる。
夢の中のセン華がこのまま消えてしまったら、現実のセン華も本当に消えてしまうのではないかと。
セン華は微笑んだ。
その微笑みは、静蘭が初めて見る笑みだった。
覇王の名にふさわしくない、けれど、とても優しく、覇王としてのセン華とはまた異なる魅力を称えた、不思議な微笑み。
セン華が消えるほんの一瞬、優しい大きな手が静蘭の額を撫でた。
生きて、幸せになれと。
そんな言葉が聞こえた気が、した。
次の日、静蘭は少し高い丘の上に一人佇んでいた。
貴陽全体が、いや、彩雲国全体が騒然となっているに違いなかった。
――――覇王と呼ばれた王の、死――――。
間もなく、盛大な葬儀が執り行われることだろう。
静蘭は、貴陽で一番見晴らしの良い場所でただ一人、遥か遠く、王宮を見つめていた。
そして腕を静かに天へと差し伸べる。
この手に触れた、父の感触は未だそこに確かに残っていた。
まるで、昨日一晩の出来事が夢ではなかったかのように。
夢で出会えたのは、奇跡だったのかもしれない。
今生で最後の別れとなることを知っていたのなら。
言いたかったこと、伝えたかったこと、けれど、もはや永遠に伝えることは叶わなくなってしまった。
静蘭は差し伸べた手をゆっくりと開いた。
その手にのせられていたのは、白い小さないくつもの花。
やがて、強い突風が、静蘭の髪を舞い上げ、小さな花を静蘭の手から攫った。
風よ、どうかこの花をあの人に・・・・。
思いが届いたのだろうか、小さな花たちが更に高く、天高く舞い上がり――――そして見えなくなった。
お待たせしました、かおる様。
シリアス、ということでこんな感じになってしまいましたが、どうでしょうか。
セン華の人物像が掴みきれていないので中途半端な感じになってるかもしれないです。(汗)
セン華はもっとこんな感じ!というようなことがありましたら遠慮なく言ってくださいね!!
批判や意見などありましたら、かおる様のみ受け付けます。
それでは、リクエスト有難うございました!
夢鳥
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