☆虹の園☆

腐女子官吏の心得

待っていても、それは降ってこない。
より高みを目指すなら――――。

時には自ら動くことも必要である。


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「静蘭――――!!」
その日の邵可邸は朝からとても賑やかだった。
「静蘭、静蘭、せいら――――うおっ!?」
ダダダという、けたたましい足音と共に静蘭の部屋に飛び込んだ燕青は、鼻先を目にも留まらぬ速さで通り過ぎた短剣に迎えられた。
ザクザクと小気味良い音を立てて、短剣が次々に壁に突き刺さる。
あ――――・・・・壁、俺が修理させられるんだろうな。
何処か遠いところで、燕青はそんなことを思った。
「おまえ・・・・腕を上げたよな。俺に危機感を覚えさせるなんて、相当だぜ・・・・」
燕青が思わず乾いた笑いを漏らすと、部屋の中から小馬鹿にしたような笑いが返ってきた。
「ふん、その首をかっ飛ばすための努力は惜しんでいないからな。心して待っているといい」
「・・・・。」
こういう時の笑顔は何故こうも輝いて見えるのだろうか。
黒い時ほど生き生きして見えるのが、静蘭が静蘭たる所以だ。
遠い目をしていると、静蘭が何やらゴソゴソと身支度を整え始めたので、燕青は慌てた。
そうだ、当初の目的を達成しなければ。
「お、おい、静蘭」
「何だ、私は今から出掛けるんだ。話なら帰ってからにしてくれ」
「・・・・どこに?」
「おまえには関係無い」
そう言って脇をすり抜け、遠くなる彼の背中が何処と無く嬉し気であるのに気付いた燕青は、片目を眇めた。
これは、もしかしなくとも――――。
その瞬間、燕青の手にした紙切れが、グシャリと音を立てて潰れた。


「あに・・・・静蘭!待っていたのだ!!」
府庫に向かった静蘭は、満面の笑顔の弟に迎えられて、思わず微笑んだ。
「主上、これをどうぞ。お嬢様の饅頭ですよ」
そう言って手にしていた包みを広げて見せると、劉輝は子供のように目を輝かせてはしゃいだ。
「おいしそうなのだ〜!!」
「お嬢様が『出来立ての内に』と言うので急いで持ってきたんです。冷めないうちに一緒に食べましょう」
静蘭が言うと、劉輝は素直に頷いて、ホクホクとお茶の用意を始めた。
大っぴらにする事は出来ないが、それは確かに兄弟水入らずの穏やかな時間である。
いつも何処と無く緊張したような張り詰めた雰囲気を持つ静蘭であるけれど、この時ばかりは身も心もくつろいだ穏やかな表情になった。

しかし。

突如、ぞわりと悪寒が背筋を走って静蘭はとっさに周りを見回した。
「・・・・?」
一体なんだったのだろう。
そういえば、と静蘭は出掛けの秀麗の様子を思い出した。
突然秀麗に呼ばれて厨房に出向いたところ、包みを渡されて『劉輝とお茶してきて』と言われたのだ。
何故急に?と首を傾げながらも、もう既に劉輝を府庫に呼び出してあるからとの事で慌てて出てきたのだが。
『お嬢様もご一緒しないんですか?』
『え?私?ごめんなさい、ちょぉっと用事があるの。おほほほほ』
無言の圧力と薄ら寒さを感じて何も問うことは出来なかった。
今の感じはあの時の彼の大事なお嬢様が発した“何か”にとてもよく似ていた。
・・・・彼女の『おほほ』笑いには、きっと何かあるに違いなかった。


「うわー、マジびっくりした!」
燕青は木陰に隠れて、バクバクと大きな音を立てる心臓を抑えた。
顔を少し覗かせてこっそりと様子を伺えば、静蘭と劉輝が二人仲良くお茶を入れ、饅頭を食べ始めたところだった。
突然静蘭が振り向いたりするから慌てて隠れたのだが、 どうやらバレた訳ではなさそうだ。
「あ〜、焦った。つか、うまそうだな、姫さんの饅頭。俺も食いて〜!!」
燕青は不満も顕わに小声で叫んだ。
そもそも何でここに燕青がいるのかというと、説明するまでも無く静蘭の後を尾行してきたからだ。
武術に関しては、燕青の方が遥かに上回っている。
静蘭に気付かれずに尾行するなど、燕青が本気になれば決して難しいことではない。
では何故ここまでするのか。
答えは、燕青の手に握られた紙切れと真密やかに広まりつつある、ある噂にあった。


『シ武官、美人だよな〜、同じ武官とは到底思えないぜ』
『でもよ、主上の愛人なんだろ?専らの噂だぞ。俺たちの付け入る隙なんか無いって』
羽林軍の武官たちがそんな話をしていたのを聞いたのは三日前。
『ねぇねぇ、この前の奴、見た!?』
『見た見た、主上とシ武官が・・・・きゃ〜vv』
後宮の傍を通り掛かったときに、女官たちの黄色い悲鳴が聞こえてきたのは二日前。

そして、この紙切れを手に入れたのは昨日の事――――。

最初はただの噂だ馬鹿馬鹿しいと思っていたのだが、この紙切れに書かれた内容。
そして今までの噂の数々。
一晩悩んで、それでも疑念は拭い去れず、今日静蘭に突撃をかけたのだが、静蘭は燕青よりも大事な用事があると言って出て行ってしまった。
もしやと思い、後をつけて来てみれば。
・・・・案の定、主上と密会か、おい。
燕青はだんだんと眦が吊り上がっていくのを自覚した。
劉輝が嬉しそうに二へ二へと笑み崩れているのはいつものことだが、静蘭までもが実に幸せそうな表情をしている。
二人の間の何とも言えない空気に、燕青の中で黒い何かが荒れ狂うのが分かった。
くっそ〜、いい雰囲気じゃないか。
噂のことを差し引いても、静蘭にとって劉輝は特別な存在であることは間違いないのだ。
あんなくつろいだ表情は、秀麗以外に見せたことなどない。
燕青が鬱々とし始めたとき、またしても不意打ちを食らう事になった。
今度は何気なく顔を上げた劉輝と目が合ってしまったのだ。
「・・・・静蘭、もしかしなくともあそこにいるのは燕青じゃないのか?」
言われて静蘭が振り返ると、ギョッと目を剥いた燕青の視線とぶつかった。


「で?ここで何をしていた・・・・?」
「いや、その、えーと・・・・」
正座する燕青の目の前で仁王立ちになった静蘭が、地を這うような低い声を出した。
突然の事態に、劉輝は震え上がって、隅にこじんまりと膝を抱えていた。
兄上との楽しい一時が何故こんなことに・・・・。
滅多に無い機会なだけに、余計悲しい。
そして、静蘭の超絶不機嫌な理由も当にそこにあった。
「折角、主上との心休まる一時を、よくも・・・・」
「待て、静蘭。主上の前だろ、そんな簡単に剣を抜いていいのかよ!」
「主上の護衛も私の仕事だからな」
問題ないと、満面の笑みを浮かべた静蘭が思いっきり剣を振り回し、燕青はそれを見事にかわした。
日毎切れを増す静蘭の剣技を喜んでいいものなのか。
二人の攻防が続く中、不意に、白いものが劉輝の目の前に落ちて来た。
「これは・・・・」
それを手に取り、劉輝は目を丸くした。
「ええい!避けるな、バッタ!!」
「避けるって」
「あに・・・・静蘭、燕青!これっ」
「うげっ!?」
劉輝が手にしたものをみて、燕青が呻いたのを静蘭は見逃さなかった。
「主上、見せてください」
「ちょ、待て、静蘭!それは――――」
焦る燕青に、短剣を投げつけ、隙を突いて劉輝の元に駆け寄った静蘭は劉輝が手にしたものを受け取った。
ぐしゃぐしゃに皺が寄った白い紙。
そこに書かれているものを見た静蘭は瞬時に凝固した。
何故ならそこには――――。

『しゅ、主上、いけません!』
『どうした静蘭。静蘭は余の事が嫌いなのか・・・・?』
『そんなことは』
『だったら、良いではないか。さぁ、静蘭・・・・』
『あ・・・・』

バリッ!!

バリッ、ビリッ、ビリビリ。
紙切れが瞬く間に塵へと化して行く。
それももの凄い勢いで。
「あ――――っ!!何をしやがる、静蘭!?」
「そうだ、もったいないのだ!!」
「・・・・何がもったいないですって・・・・?」
静蘭の瞳が鋭い光を放ち、燕青と劉輝は同時に身を竦めた。
「いや、あの、だって・・・・」
言い淀む劉輝を尻目に、静蘭は燕青に突っ掛かった。
「何だって、おまえは、こんな出だしの数行を読むだけでも気色の悪い物を持っているんだ!!」
「俺じゃねーって!昨日何故か俺の部屋の前に置いてあったんだって!!」
「馬鹿が!お前と私と旦那様とお嬢様以外の誰が邸に入ってこれると言うんだ!!あぁ!?さっさと白状しやがれ!」
「静蘭、品位、品位!!」
静蘭は鬼の形相で燕青の襟首を掴んだ。
「一度・・・・あの世へ逝ってみるか・・・・?」
凄まれて言われた言葉に、しかし燕青は口元を微かに吊り上げた。
「まぁ、俺がいなくなれば主上といちゃこらできるし?」
「・・・・は?」
「だって静蘭は主上の愛人なんだろ」
一瞬言われた意味を理解できずに静蘭は目を点にした。
愛人・・・・ああ、そういえばそんな噂をされていたかもしれない。
別段気にすることも無かったが、確かに静蘭の正体を知らないものが、こうも頻繁に静蘭と劉輝が会うのを見れば、確かに誤解するかもしれない、とは思う。
しかも最近ではすっかり忘れていたが、嘗ては男色家で通っていた劉輝の経歴が経歴だ。
だが、燕青のこの拗ねたような様子。
「・・・・大の大人が拗ねて見せても、可愛気の欠片もないぞ」
「拗ねたりもするって。お前と主上の噂はさ、前々から確かにあったけど、最近なんか信憑性が増してきてるだろ?あの紙切れに書いてあるあ〜んなことやこ〜んなことも、何かありえそうだなって読んでるうちに思ってきてさ。さっきだって何だかいい雰囲気だったし」
「貴様・・・・っ!?馬鹿か!大体何だ、あ〜んなことやこ〜んなことって!?」
何だか痴話喧嘩を始めた二人に、一人だけ蚊帳の外に取り残されてしまった劉輝は再び膝を抱えて蹲った。
兄上・・・・なんだか楽しそうなのだ・・・・。
「な〜、静蘭、主上の愛人ってほんと?」
「このコメツキバッタめ!私と主上の仲をそんな薄汚れた目で見るな!!主上のことは・・・・お嬢様と同じくらい大事に思っている」
「静蘭・・・・!」
劉輝は静蘭の言葉に思わず感動してしまった。
ぱっと顔を上げ、尻尾を振る勢いで静蘭に抱きつこうとしたが、しかし、静蘭に逆に詰め寄った燕青に邪魔されて、空を抱くこととなった。
「・・・・あれ?静蘭・・・・?」
「じゃあ、俺のことは?」
「・・・・お前なんぞ、ものの数にも入らん」
「せ〜いらん?」
「・・・・。」
「なあ、静蘭?」
徐々に燕青の顔が近づいてくるので、静蘭は大きく背を仰け反らせた。
そのまま顔を背ける。
「静蘭正直に言ってくんねーの?」
しつこく燕青が問うと、彼は小さく息を吐いて、顔を背けたまま燕青の頭を両腕に抱き込んだ。

「・・・・悟れ、馬鹿」

「駄目なのだ、静蘭――――ッ!!・・・・!?」
「あ〜、くっそ!反則だろ、そりゃ」
「うわ!?馬鹿、懐くなコメツキバッタめ!!」
このままでは敬愛する兄上が燕青に奪われてしまう!?
慌てて止めに入った劉輝だったが、またしても静蘭に抱きついた燕青に邪魔をされ、再びその腕は虚しく宙を流離うこととなった。
・・・・大好きな兄上と二人きりで大好きな秀麗の饅頭を食べて、折角の至福の一時が何故こんなことに・・・・。 あぁ、庭院に下りて一人で膝を抱えて蹲りたい・・・・。
「主上」
劉輝のその言葉が届いたのか、その時漸く静蘭が彼に言葉をかけた。
「せ・・・・静蘭!!」
ぱっと顔を輝かせた劉輝は今度こそはとばかりに静蘭に抱きつこうとした。
三度面の正直。
しかし、続けられた言葉にが、劉輝の願いを粉砕した。
「すみません、主上。この埋め合わせは何れいたしますので」
「・・・・え?」
劉輝は我が耳を疑った。
「まったく、お前のせいだからな、燕青。主上と二人きりで食事などあまりできないことなのにお前のせいでめちゃくちゃだ」
「こら、静蘭。そんなこと言ってっから、変な噂が広まるんだぞ」
小言を言い合いながら、去って行く二人の後姿を劉輝は呆然と見送った。
大好きな兄上との一時を潰されてしまった事とか、大好きな兄上が自分を残して燕青と二人で行ってしまった事とか、衝撃を受けたことは上げればキリが無いのだが。
それより何より、その時劉輝がホケっとする頭で考えたことは。
(何時か、燕青を義兄上と呼ぶ日が来るのだろうか――――)


その後、府庫の本来の主である邵可がやって来て、「余の兄上は清苑兄上一人で十分なのだ――――ッ!!」と意味不明な事を叫んで泣き伏す劉輝を手ずから茶を注いで、慰めたと言う。


さて、そこから少し離れた位置でのこと。
そのやりとりを一部始終見ていた者がいた。
「・・・・なあ、あんた。その変な道具何?」
足下からかけられた声に、視線を向けもせず、秀麗は答えた。
「柴凛さんに作ってもらった、“双眼鏡”という道具で遠くまで見渡せる優れものよ、タンタン」
さいですか、と生返事をして蘇芳は木の上でぶつぶつ独り言を呟く秀麗を生温い目で眺めていた。
「ああ、もう!燕青ったら何やってるの!?あんな簡単にバレて。計画通りに行けば、デート中の二人の間に猛撃突進→劉輝と乱闘→静蘭姫奪回だったのに!」
折角あちこち手を回して、舞台を整えたのに台無しじゃない、と不満を漏らす秀麗は普段の彼女とまるで別人だった。
静蘭“姫”って一体何だ、とか突っ込みどころは多々あったのだが、蘇芳はあえて気付かないふりをした。
いつもの様に駄々漏れては、火の粉が自分に及ぶことは明らかだ。
桃色草子の存在さえ知らなかったのに、一体何があったのだろう。
いや、寧ろ桃色草子の存在が彼女の暴走に拍車をかけたのかもしれない。
蘇芳は何となくそう確信して、内心で涙を拭った。
色々な意味で秀麗には桃色草子の存在を知らせなかった方が良かったのかもしれないと思ったが、時は既に遅しである。
あのタケノコ家人が自分の大事なお嬢様がこんなことをしていると知ったら、間違いなく卒倒するだろう。
この時ばかりは蘇芳も静蘭に同情した。
ふと気付くと、いつの間にか蘇芳の目の前に木の上から降りてきた秀麗がやってきていた。
蘇芳は嫌な予感がした。
「ま、こっちは別の方法を考えるとして、タンタンも今度協力してね」
「やだ」
案の定の言葉に、蘇芳は鳥肌を立てる勢いで即答した。
あのとんでもタケノコ家人と二人っきりでデートした挙句、燕青と乱闘なんかさせられたら、確実に死んでしまう。 が、秀麗は彼の言葉を聴きもせずに、「タンタン次行くわよ!」と元気に駆け出してしまった。
どうあっても関わりあう羽目になりそうなことを予想して、蘇芳は遠い目をした。
その時秀麗の懐から白い紙がひらりと落ちた。
蘇芳はそれを拾い上げ、次いでしばしの間沈黙した。

『この間の無料配布冊子の主上×シ武官のお話拝見しましたわ。
素晴らしい萌語りの数々、流石は秀麗様です。
おまけの予告編、燕青殿×シ武官←主上を楽しみにしておりますわね。
後宮女官一同』

「・・・・・・・・。」
秀麗の活動を知る唯一の男、タンタンこと榛蘇芳。
己が身の保全の為、今日一日見聞きしたものは、全て見なかったことにした。


――――それは腐女子官吏、紅秀麗の心得。

待っていてもネタは降ってこない。
より高みを目指すなら――――。
時には自ら動くことも必要である。



☆あとがき☆

お待たせしました、茶谷様。
文章がなかなか巧くまとまらず、結局だらだらになってしまいました。(汗)
内心穏やかじゃないどころか、すごく荒れ狂っている燕青とツンデレな静蘭と不憫な劉輝のやりとりが大半です。
あれ?おかしいな、劉輝何でこんなに可愛そうな役回りになってるんでしょう?
きっと愛です、愛。
おまけでタンタンも出てきました。
恐らくは今まで書いた文の中で一番キャラ出演数が多いんじゃないでしょうか。
何か批判や意見などありましたら、茶谷様のみ受け付けます。
それではリクエストありがとうございました!!

夢鳥



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