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燕青は木々の間を縫って辿り着いた、その壮大な風景に思わず息を呑んだ。
「すっげー・・・・」
目の前に広がる巨大な湖は翡翠色。山や緑の木々、天に広がる蒼い空を水面に映し出し、日の光を反射する様は、幻想的と言わずして何と言うのだろう。
こんな景色は茶州では見たことがない。
玉龍にしても、九彩江にしても、茶州とは何もかもが掛け離れていて、燕青は心底藍州が羨ましいと思った。
いつか茶州にも、藍州のように栄える日が来るといい。
「さてと、目的を達成しなきゃな」
燕青は湖の畔に降り立った。
秀麗と蘇芳は少し離れた場所で休ませている。燕青がこの湖まで降りてきたのは、無論、観光などの為ではない。
「食料、食料は――――っと・・・・ん?」
湖を覗き込んだ燕青は、眉根を顰めた。
「魚が・・・・いない?」
燕青は首を巡らせた。
ただこの付近にいないだけなのかと思い、遠く目を凝らして見たが、やはり魚の姿は一匹たりとも捉えることは出来なかった。
不思議な碧色の水はとても透き通っていて、水底まで見える程なのに、何とも奇妙な場所である。
「ま、いねーならしゃーねえか」
いざと言う時の思い切りは良い。
燕青はそのまま元来た道を戻ろうとしたが、ふと既視感を覚えて立ち止まった。
湖の翡翠の色が、とても懐かしく感じたのだ。
その色を見たのは何処だったか――――。
思いを巡らすうちに、知らずに言葉が零れた。
「静蘭・・・・」
自らの無意識の呟きに、燕青はハッとなったが、すぐに納得した。
そうだ、静蘭の瞳だ。
この透き通るような翡翠の色は、静蘭の瞳の色とよく似ている。
燕青は思わず苦笑した。
離れてからまだそう時間が経っている訳ではないのに。
もう懐かしいなどと、我ながらどうかしている。
燕青は改めて水面を覗き込んだ。
思えば、自分の姿を映し出す様子まで静蘭の瞳とそっくりだ。
その色の中に自分の姿が映る時の静蘭は、不機嫌であったり怒っている事が多い。けれど、この水面のように、得も言われぬように軽く揺れて、押し殺した様々な感情を燕青に伝えるのだ。
その様子まではっきりと思い出されて、燕青は穏やかに目を細めた。
しかし、それはその刹那の出来事であった。
水面に映っていた燕青の影が大きく揺らいだのだ。
驚いて目を擦り、再び水面を覗き込むと、元と変わらず自分自身が映りこんでいた。
燕青は唖然とした。
何だったんだ、今のは。
一瞬、誰か知らない奴の影が見えた気がする。
いや、何処かで見覚えのある気もするが・・・・。
『こいつの1番って実は姫さんじゃないよな』
そんな言葉が脳裏に閃いた。
あれは誰の言葉だったか。ああ、そうだ自分だ。
あの時もやはり、静蘭の瞳の奥に知らない誰かの影を見た気がして、何となくそう確信したのだった。
燕青は湖を見つめた。
穏やかに水面が波立って、引いては返すように静かに揺らめいている。
嘗て燕青と静蘭はの道は交わり、そして分かれた。
けれど、それは必然だったのだろう、こうして再び交わり、共に道を歩むことになり。
共に秀麗を支え、共に秀麗の描く未来を見届ける――――それが当然のことだと思っていた。
だから、燕青の一番は秀麗であるし、静蘭の一番もそうあるべきだと思っていた。
だが、静蘭の一番は秀麗ではなかった。
時折、静蘭の瞳の奥にその影が見えていたからなんとなく分かってはいたのだけど。
「女・・・・じゃないよな。姫さんより好きな女なんてあいつにいるわけねーし」
とすると、どう考えたって男だろう。
自分が静蘭の一番ではないのは百も承知だし、というか、寧ろ自分が一番だった方が怖い。
だが、自分より順位の高い位置に知らない男がいるのは、面白くない話ではある。
大体、自分の一番は秀麗であっても、二番手にはきちんと静蘭がいるのだ。それを静蘭は無意識とはいえ、別の男を一番に持ってくるとは・・・・。
やはり、甚だ面白くない。
燕青は、思わず手近にあった小石を掴んで、湖へ投げ入れた。
小石は水面を数回跳ねて、最後にポチャンと音を立てて沈んだ。
正直なところ、心あたりがない訳ではない。
それすら推測の域を出ないのだが、とはいえ、燕青の野生の感は伊達ではないのだ。
それは多分――――・・・・。
「まったく、らしくねーな」
燕青は苦笑しつつ、頭を振った。
こうやってグダグダ考えるのは自分の性に合わない。
そもそも、静蘭の一番が誰であっても関係ないではないか。
燕青は昔の身も心もボロボロだった頃の静蘭を知っている。
差し伸べた自分の手をも振り払い、一人去って行った、小旋風と呼ばれていた頃の静蘭。
一番が誰であれ、秀麗や邵可も含め、その絶望の果てに静蘭が手に入れた大切な者達だ。
そして、自分は静蘭と、そして彼の大切な者たちを守る。
それが、もう二度と傍を離れないと誓った、燕青の決意だった。
静蘭の一番になれた誰かに、ほんの少しの悔しさを覚えて。
それでも燕青がその決意を変えることはないだろう。
燕青は立ち上がった。
「よし、姫さんとこに戻るか」
燕青は守らねばならない。
静蘭の大切な者の一人である少女を。
彼が燕青を認めたと言うことに価値はあると思うから。
そして、燕青自身が一番と定めた少女であるのだから。
燕青は木々の間から、湖を振り返った。
日の光を反射し、眩いばかりに輝く翡翠色。
燕青は眩しげに目を眇め、そして再び歩みを進めた。
あの色は嘗て濁っていた。
濁っていて尚、それでも綺麗だったけれど。
澄んだ色はもっと綺麗なのだろうと、その色を見てみたいと、そう思った。
自分の差し伸べた手は届かなかったけれど。
自分の知らない間に、温かい家族に迎え入れられて、長い時を経て浄化された。
再び出会った時に、燕青の念願は叶っていたのだ。
だから、今度は。
もう二度と濁ることがないように、自分がその色の輝きを守ろう――――。
☆あとがき☆
お待たせしました、茶谷様。
何だか随分としんみりしたお話になってしまいました。(汗)
九彩江の翡翠色の湖を見て燕青が静蘭のことを思い出していたら、素敵ですよね。(^^)
イメージに沿えているか甚だ怪しいのですが、こんな感じでどうでしょう?
批判や意見等ありましたら、茶谷様のみ遠慮なくどうぞ。
それではリクエスト有難うございました!!
夢鳥
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