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「すみません、胡蝶さん、助かります。」
「何、こっちも助かるよ。調度人も足りなくなっていたし、何より秀麗ちゃんのためだからね。頼んだよ」
静蘭たちの挨拶に応じ、そう言って去っていく美しい姿に、燕青は我知らず嘆息した。
「すっげー美人・・・・」
無論、静蘭とて美人という点では負けてはいない。とは言え、彼女には女性ならではの艶やかさがある。
衣服の隙間から覗く豊満な胸元も、その細い肩や柳腰、比べろという方が無理な話だ。
流石は妓楼のトップ。
男心が惹かれてやまない。
燕青が素直な賛辞を送っていると、背後から静蘭の不機嫌を隠しもしない、ドスのきいた低音ボイスが発せられた。
「・・・・燕青、分かっているな?ここには、賃仕事に来たんだぞ」
「へいへい、分かってるって」
燕青は軽く返事をしながらも、先ほどまでは怒っていても、絶賛不機嫌中ではなかったはずの静蘭の機嫌が、急激に変化したのに首を傾げた。
「まったく、お前が遠慮なく食べまくるから、今月の家計はかつてないほどに崩壊寸前だ。お嬢様の嘆きっぷりが御労しい」
「え、だって『遠慮しないでね』って姫さんが」
「バカか!!普通はそれでも遠慮するもんだろうが!!だから、お前は人間になれないんだ、このコメツキバッタ!!お陰で、お嬢様の為とは言え、私まで賃仕事しなければならなくなってしまった」
「別に俺だけでもいいっていったじゃんか」
「ふっ・・・・十人に聞けば十人とも不審者と答えるだろう奴をそうそう野放しにできるか」
ようは俺と一緒にいたいんだろ、という言葉を燕青はあえて飲み込んだ。
無駄に矜持が高いのも困りものだ。いつだって静蘭が素直になることはない。
けれど、燕青は彼の内心を誰よりも理解できるので、こんなものは可愛いものだと、頬を緩めた。
すかさず、静蘭が腰に佩いた剣を振り回してきたが、難なくそれを避け、二人ともそれぞれの持ち場についた。
本日の賃仕事は妓楼の用心棒。
腕っ節だけがモノを言う、燕青にはうってつけの仕事だ。
自らの持ち場に着き、燕青の姿が見えなくなると、ほんの少しだけ顔を歪めて、静蘭は息を吐いた。
先ほどの胡蝶を見送った燕青の姿が蘇る。
私としたことが、すっかり油断した。
燕青とて男なのだ。魅力的な女性に惹かれないはずがない。
高収入で、頭も使わず、ふさわしい仕事だとは思ったが、肝心なことを忘れていたなんて。
そこまで考えて静蘭はかぶりを振った。
「ばかな・・・・、燕青が誰を好こうか私の知ったことじゃない」
全ての雑念を振り払い仕事に集中する。
そう、この胸に渦巻くようなもやもやとした感情など、知ったことじゃない。
その日の花街はいつも以上に賑やかになった。
時々秀麗の様子を見に来ていた静蘭はもとから妓女たちの間でも人気ではあったが、今回は更に燕青がいる。
普段精悍な素顔を覆い隠しているもさもさ髭も、妓楼に行くのだからそれなりに見れる格好にしろ、という静蘭の絶対命令のもと剃られてしまっている。
美しく冷たい印象を持つ静蘭と、男らしく陽気な雰囲気を持つ燕青。
妓女たちの好みを巧く二分化し、それぞれのファンが仕事の合間を縫って差し入れを出したりするので、こう娥楼の前は男性客のみならず、それぞれの妓楼の妓女たちまで集まり、多くの人だかりが出来ていた。
そんな中、静蘭の機嫌は氷点下以下まで下がっていた。
無論、差し入れを出してくる妓女たちにはそんな内心を悟られはしないよう笑顔で取り繕ってはいるが、ともすれば、言葉の端々に滲んでしまいそうなものを己の矜持に賭けて、全て呑み込んだ。
・・・・あの熊め。へらへらしやがって。
持ち場があるといっても、ずっとその場に待機しているわけではない。見回りの為に、場所を移動したりもする。
そんな最中、妓女たちに囲まれ、満面笑顔(に見える)の燕青に遭遇してしまうと、どうしようもなく、胸の内で荒れ狂う感情が、暴走しそうになる。
実は静蘭の周りにも負けないくらいの人数の妓女たちが張り付いているのだが、彼にとってはそんなことは問題にならないらしい。
馬鹿面!コメツキバッタ!髭熊が!!
散々内心で罵倒した上でその場を去るつもりだった。
ところが不意に肩にかけられた手に行く手を遮られ、静蘭はギョッとして振り返った。
一方の燕青はずっと感じている静蘭の冷たい視線に、始終顔の筋肉が緩みっぱなしになっていた。
最初の時の、胡蝶を見たときの態度といい、今の態度といい。
本当に可愛い奴だ。
そう、静蘭は素直ではない。素直ではないが、その実、全て行動で語っているのだ。
燕青は無論、とっくに気付いている。
静蘭は妬いているのだ。
「悪くないよな、こういう仕事も」
静蘭の心に直に触れる瞬間は好きだ。
だが、そんなことを本人に言えば、「変態か、貴様は!!」と言って剣を抜くので、わざわざそんな無粋な真似はしない。
しかし、ここで燕青も重要な問題を気にしなければならなかった。
静蘭は気づいているだろうか?・・・・いや、きっと気付いていない。
静蘭の周りにいるのは何も妓女たちだけではない。
――――男だ。
静蘭の外面は、女性だけではなく、男性をも惹き付ける。
過去、そのせいで彼は殺人賊で辛酸を嘗めた。
すでに何人かの男は直接静蘭に接触してきている。
静蘭はそれらをすっぱりさっぱり無視して切り捨てているため(というか燕青のことで頭がいっぱいでそこまで気が回っていないのだ)、とくに問題はないのだが、そろそろ実力行使を仕掛けてくる奴がいるかもしれない。
静蘭の剣の腕を考えれば、杞憂ではあるのだが、やはり過去のトラウマのせいか、放っては置けないのだ。
そうこう考えていると、早速静蘭のいる方が騒然となったので、燕青は集まった妓女たちの間をすり抜け、迷わず駆けていった。
「いいかげんにしてください!!」
静蘭はこめかみに青筋を立てて叫んだ。
「いいじゃないか。私は男でも構わないんだよ。君はそこらの女性よりも美人だから、高い金で買ってあげる」
手首をつかまれて、静蘭は全身に鳥肌が立つのをはっきりと感じた。
大半の者は、静蘭に絶対零度の視線で一撫でされただけで正気に返り、慌てて逃げていく。
しかし、今回は違った。酒の匂いを振りまきながら迫ってくる男は、明らかに冷静な判断力を失っている。
・・・・この酔っ払いの変態が・・・・。
堪忍袋の緒が一つずつ、だが確実に弾け飛ぶ音が、自分自身でも分かる。
今の静蘭は妓楼の用心棒だ。もし、男が妓女たちに手を出したのならば、問答無用で、殴り飛ばすだろう。
だが、男は静蘭の背後で守られている妓女たちには一切手出しせず、まっすぐに静蘭に迫ってきた。
一応はまだ、妓楼の客人である、ということだ。
下手に騒ぎ立てて問題を起こしたくはなかったが、とはいえ、このままでもいられない。
あまりのしつこさに彼の我慢はとうに臨界点に達していた。
ただでさえ、男に触られるだけでも、嫌悪感が全身を駆け巡ると言うのに。
よし、あとで胡蝶さんに謝っておこう。
お嬢様の顔をたててきっと許してくれるに違いない。
そうだ、殴ってしまおう。
静蘭はこれ以上にない程の笑顔を浮かべた。男にはきっと魅惑的で妖艶な笑みに見えたに違いない。
だが、それ以外の人間は危険な笑顔だと瞬時に察知し、滝汗を流し震え上がりながら男を残して皆後ずさった。
逃げろ、男。
悲しいかな、人々の必死の忠告は彼の耳届くことはなかった。
静蘭の笑みに見とれる男を尻目に、剣の柄に手をかけた瞬間。
ドゴッ!!
目の前の男がすさまじい音を立てて吹っ飛んでいった。
「なっ・・・・!?」
「っとに、しつこい奴だな、おい」
飄々として横から登場した男に、静蘭は目を見開いた。
「貴様・・・・燕青!こんなところで何をしている!?仕事は」
「静蘭のピンチの方が大事」
しれっと答えた言葉に、静蘭は二の言葉が告げなくなった。
「・・・・馬鹿が」
長い沈黙の後、彼は漸くそれだけを吐き出した。
「お前に心配されるまでもなく、こんな奴切り捨てるのなんて、大した手間じゃない」
「ん。分かってっけど、俺の気持ちの問題だから」
「なぜ」
「さあ、惚れてるから?」
「・・・・!」
あっさりとした告白に、静蘭は顔がカァッと上気するのを感じた。
「えんせ・・・・っ、馬鹿、おまえなんか大嫌いだ!!」
静蘭が顔を背け紡ぐ言葉に、燕青はフーンと意味ありげに言った。
その顔をぐっと静蘭に近づける。
「なぁ、静蘭、どうしてここにきて不機嫌になった?」
「・・・・不機嫌になってなんか・・・・」
「でも、ずっと俺を睨みつけてたろ」
「・・・・・・・・。」
言っても言わなくても気付いているのだ、この男は。
とてもじゃないが、目を合わせることは出来なかった。
けれど、それでも静蘭は何か言おうと口を開いた瞬間、口に何かを放りこまれた。
「むぐ・・・・!?」
甘い味が口の中に広がる。
驚いて燕青を見れば、彼は笑っていた。
「いや〜、さっきお姉さんたちから貰った飴なんだけど。静蘭がイライラしてるのって、糖分が足りないからなのかなって思ってさ」
「・・・・それをいうなら、カルシウムだ、馬鹿が」
げっ、マジ?と呻く燕青を馬鹿にしたように静蘭が鼻で笑った。
・・・・まったく、この男は。
結局静蘭が誤魔化せるきっかけをくれた。
素直に気持ちを口に出来ない、静蘭の為に。
悔しいが、結局かなう所など無いのだ。
静蘭はこのときばかりはまっすぐ燕青を見つめた。
至近距離にある、その顔を。
それに気付いた燕青もふと、真面目な表情になった。
我知らず顔が近づいていって――――。
「はい、そこまでだよ、バカップル」
突然割り入った声に、燕青も静蘭もとっさに体を離した。
見れば、いつの間に出てきたのか、胡蝶が半眼で二人を見つめていた。
「まったく、ここを何処だと思ってるんだい。二人でいちゃいちゃしたいなら、他所へ行きな。お陰で、人が入りやしない」
「こ・・・・ここ胡蝶さん!」
静蘭は愕然とした。
しまった、私としたことが・・・・っ!!
横では燕青が腹を抱えて爆笑していた。そんな彼を静蘭はギッと睨みつけた。
おまえのせいだ!と燕青に突っかかりたかったが、これ以上は、胡蝶が許さないだろう。
迂闊にも、人が周りにいることを忘れてしまっていたのだ。
しかも、先ほどの燕青が男を殴り飛ばした騒ぎでより、人が集まっている。
更に場所は天下のこう娥楼の前。
迂闊すぎるにも程がある。
何をやっているんだ私は――――!!?
ざわざわと人が囁き合い、好奇心の目を向けられる中、とてもいたたまれなくなったが、胡蝶は容赦しなかった。
「ほら、きちんと仕事をやりな。責務を全うしたら、二人の為に一部屋空けといてあげるから、そこで二人の世界に入るといいよ。殴り飛ばした男はこちらで処分するから」
「こ、胡蝶さん――――!?」
静蘭が慌てる横で燕青がさらに追い討ちをかけた。
「うおっ!やったな静蘭、今日は頑張ろうな!!」
途端に静蘭の中で、何かが爆発した。
「調子に乗るな、このコメツキバッタが――――ッ!!」
後日この事件が秀麗の耳に入って詰問されたり、楸瑛が笑顔で劉輝に語っていたり、語られた劉輝が静蘭に泣きついてきたりなど、更なる騒動が待っていたりするのだが、そんなことは今の静蘭には予想することの出来ないことだった。
静蘭は静かに瞑目する。
この甘く広がるものは自分の感情ではなく、きっと飴の味だと。
でなくば、なぜこんなにも甘いのだろう、と。
☆あとがき☆
お待たせしました、てんとうむし様。
最初のリクエストだったので気合入れて、
いつになく二人をいちゃつかせてみましたがどうでしょうか?
二人が賃仕事するんならきっと用心棒だよな、と思ったので、こんな話になってしまいましたが。(汗)
批判や、意見がありましたら、てんとうむし様のみ受け付けます。
遠慮なくおっしゃってくださいね!(^^)
それではリクエスト有難うございました!!
夢鳥
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