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市の喧噪が一際大きくなって、買い出し途中の静蘭は振り向いた。 心地よいはずの夕暮れの活気に混じり、野太く聞き苦しい叫び声が耳に届く。 「喧嘩かな?」 「そうらしいですね」 「全く、こんなところで」 のほほんと笑う楸瑛とは対照的に、絳攸は苦虫をかみつぶしたような顔で財布を出した。本日は四日に一度の夕食会の日である。生活用品と食料品を山と抱えて邵可邸を訪れる日でもあった。 瓦を手土産にした楸瑛と違い、絳攸はその日の夕食の材料――できれば、保存の利くものも――を調達する必要がある。静蘭に指導されながら、初めて目標以上に値切って買い物ができたのだ。傍迷惑な破落戸ごときに邪魔されたくない。 さっさと代金を払うと、横から手が伸びて、楸瑛が大根の束を持ち上げた。楸瑛はもう一方の手に瓦の束を持っている。 「武官が両手を塞いでもいいのか」 「平気平気」 楸瑛は大根の束を持ち上げて無駄に格好良く唇をつり上げた。 「両手にものを持ってるからといって、戦闘力が落ちることはないよ」 「剣が使えないだろう」 「荷を置いてから抜くくらいの反射神経はあるよ」 そんなものか、と頷いた絳攸の横で、静蘭は一般的には美しいと賞賛される類の笑顔を浮かべた。 「荷を置くのはいいですが、万一瓦を割ったら――」 その先を言葉にしないのが恐ろしい。楸瑛の頬がひきつる。 「勿論、わかってる、よ……」 「――俺が買った大根も死守しろよ」 静蘭から視線を逸らしながらも、絳攸も念を押した。 折れた大根を持っていったらどうなることか。食べられればいいのだから、邵可や秀麗は気にしないだろう。――もしかしたら静蘭も。その点彼らは割り切っている。 けれど、兄姪命の黎深が其れを許すかどうかは別だ。 思って、絳攸の背筋に冷や汗が伝った。 「巻き込まれたら面倒だから、さっさと行くぞ」 「そうですね」 頷いた静蘭も、手には葉物が山となった籠を抱えている。 歩きだした三人を追いかけるように、喧噪は大きくなっていた。 「静蘭達、今日は遅いのね」 「市に寄ってから来るって言ってたよ」 「あら。それなら、革屋さんに寄ってきて貰えばよかったわね」 四日に一度の食事会だ。奮発して米のみの飯を炊きながら、秀麗はつぶやいた。 「革屋?」 「そうよ。静蘭の靴も父様の靴もそろそろ変え時でしょ。足の型を取って貰わなきゃ」 「私はいいけど、静蘭はまた自分で作るって言うんじゃないかなあ」 「いつも思ってたんだけど、なんでなのかしら? そりゃ助かるけど、革靴は本職の人に任せた方がいいのに……」 「自分で作った方が、使いやすいのかもねえ」 色々と仕込めるし。けれど其処は口に出さず、邵可は常通りののほほんとした笑顔を浮かべ続けた。 「やっぱり、靴縫えるように頑張るべきかしら……」 「それはちょっと……。布靴と違って革靴は秀麗には難しいからね」 「針が通らないのよねえ。柔らかい皮ならもうちょっと何とか……でも柔らかい皮は高いし」 高い皮ならば、秀麗は皮工芸にまで手を出すのだろうか。 自分の薄給のせいだとはわかっているものの、努力と工夫で乗り切る娘達が頼もしい。本当に二人とも、良い子に育ってくれたなあ。邵可は微笑んで茶をすすり上げた。 喧噪が一際高くなる。叫び声も近づいて、絳攸はため息をついた。 「……巻き込まれたくは、無かったんだが」 「でもそろそろ、迷惑ですよね」 「親分連は?」 「ちょうど誰もいないようですね」 仕方ないか、と静蘭もため息をつく。振り返り、人だかりに向かい足を進めた。 「仕方ないな」 「民に被害がでそうだからね」 楸瑛の言葉に被さるようにして、物が倒れ割れる音と悲鳴が聞こえた。 女性の悲鳴に楸瑛が身を乗り出す。 「あ、あいつ刀を抜いちゃったよ」 「まずいな」 人混みをすり抜けて騒ぎの中心に辿り着く。剣を振り被った男に楸瑛の眉根が寄る。とりあえず荷物を絳攸に頼んで、と考えた脇を静蘭がすり抜けた。 「あ、静蘭! 君も両手に荷物っ!」 静蘭は籠を抱えたまま、男の前へ回り込み、切られそうになっていた人間を背に庇った。丸腰で、と手を伸ばした楸瑛の前で、男が剣を振りおろす。静蘭は男を見据えたまま足を振りあげた。――彼が斬られる、と楸瑛が覚悟した次の瞬間、ガキンと音を立てて、 剣が 折れた。 「――……折れ…っ!?」 「折れ、た……」 楸瑛や絳攸だけでない。目撃したすべての人間が目を疑う。振りおろされた剣は、静蘭の一蹴りで無惨に半ばから叩きおられ、切っ先が楸瑛に飛んでくる。危なげなく楸瑛が払い落とすうちに、静蘭は呆然と立ち尽くした男に回し蹴りを叩き込んだ。 剣を折る蹴りを食らって、立っていられる男はいない。その場で昏倒した男を見下ろして、静蘭は楸瑛に目をくれる。意味するところは明らかだ。思考は停止したままではあったが、楸瑛は周りから縄を借りて破落戸を縛り上げた。 「災難でしたね。この男はこのまま役所に突き出すなり、親分連に突き出すなりご自由にどうぞ」 「あ、りがとう…ございます……」 助けられた本人も呆然としている。当たり前だ。 「ちょ、なんで剣が折れるの?」 何事もなかったようににっこりと笑った静蘭に、楸瑛は漸く突っ込むことが出来た。 「武官ですから」 「ほう……武官とは、たいしたものだな」 「違うだろう! 絳攸も、違うから!」 絳攸にもつっこんで楸瑛は溜息をついた。武官ならこんな芸当出来るなんて、思って貰われたら困る。 「君、靴に何仕込んでんの?」 「鉄板です」 「鉄板!?」 心底仰天して、楸瑛は叫び声をあげた。絳攸は納得したような顔で頷いている。 「武官ですから」 「ふむ」 「違う! 普通の武官、そんなことしてないから!」 絳攸の相槌に、急いで訂正の声を上げる。 「何があるかわかりませんからね。靴の先と、かかとの部分に鉄板を仕込んであるんです」 見せてくれるかと絳攸が頼むと、静蘭は何故か迷って、それでも靴を脱いで見せた。調べてみると靴先には薄く、足底部分にはそれなりの厚さの鉄板が縫いつけられてある。 ふと見ると、静蘭の視線が常より僅かに低い。 「……これ、もしかして、あげぞ」 「あくまで、護身用および護衛用です」 楸瑛が口を滑らすと、低い位置から凄絶に静蘭が睨む。 (あげぞこだ) (あげぞこ) (あげぞこか) 民の心は一つにまとまった。 「主上よりも、もしかして背が小さい?」 「そんな事はありません!」 市中で出す名前ではないとは思ったので、『主上』の所だけごくごく小さく呟いた楸瑛に、静蘭は必要以上に声を張り上げる。 そんなにむきになると言うことは、やっぱり上げ底じゃないか。弟に背を追い抜かされたことが、そんなに悔しかったのだろうか。 可愛いことをするなあと、ゆるんだ頬はしっかりと見咎められてしまったらしい。不機嫌そうに眇められた眸に、しまった、と思いつつも、促されるままに靴を返した。 「護身用なんです」 「うんうん、わかったよ」 「絳攸殿も、こんなのを履いた方がいいかもしれません」 「ふむ、しかし結構な重量があったぞ」 「履いてるうちに慣れます」 そんなものか、と頷いて、絳攸は考え込むように腕を組んだ。 「しかし、振り下ろされる刀にあてるのは……俺は武術とは無縁だからなあ」 「そんな必要はありませんよ」 どういうことだ? と首をかしげた絳攸の前で、静蘭は実践して見せた。 「……っ!!」 「――こうやって、蹴り上げるんです」 声もなく楸瑛が崩れ落ちる。鉄板を仕込んだ靴の先で蹴りあげられたのだ。咄嗟に急所は外したのだろうが、それでもひとたまりもない。成り行きを窺っていた民は潮が引くように静蘭から距離をあけた。 「簡単でしょう?」 「――お前……」 楸瑛の手からこぼれた大根の束を拾い上げて、絳攸は呆れたように静蘭を見やる。 「結構怒っていたんだな」 視線の先では、静蘭が花が咲くように笑っていた。
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